5年契約満期を迎えあっという間の5年間でした。
本部に 知り合いがいる訳でもなく、誰かに誘われた訳でもなく、
今思えば良いタイミングで転職をした事が、功を奏して
今の仕事や生活に反映されているのかなと思っています。
当初希望の出店場所はほとんど入れています。
でも、出店場所が多くなり1台の販売車では回れなくなってきました。
どの出店場所にも楽しみにしてくださっているお客様がいらっしゃり
そのお客様を切り捨てるなんていうことはできません。
そんな時、本部の提案であげぱんGOと言うシステムが作られました。
特定少数のお得意様の為に、出店場所の変更があったとしても
出店場所が特定できる。
そんな機能を含めたシステムが開発されました。
毎日の出店場所や、その他の情報がお得意様ご自身のスマホで
取得できるシステムです。
これで私の悩み続けたことも解消され、
ますます売ることに集中できます。
これは本部のサポートがあってのことです。
転職を決めた理由の一つのなかに、地域への社会貢献があり、
この事が今まさにカタチになろうとしています。
本部の説明によれば、私達のこの仕事はひとりひとりのお客様に
支えられて各お店がなりたっている。
この事は
言い換えると、店を存続する為に
お客様という支援者のおかげで店は成り立つ。
地域が被災した時は支援者が被災をしてしまう。
この時、支援をしてくれた人たちの為にその恩返しをする。
緊急支援で被災したお客様という名の支援者の為に、
この起動力と身軽さを活かし、
初動態勢で即座に力を尽くす事を私達の社会貢献としている。
実際に本部は、このフランチャイズを行う前から阪神大震災、
フランチャイズを始めたのちに、東日本大震災にも被災地の支援も
行なって来たそうです。
実はあげぱんGOが、その社会貢献の柱になろうとしています。
フランチャイズの本部はたくさんあると思いますが
この本部となら自分にもできるかな?!と思ったからです。
最初の販売は軽自動車でした。
狭いながらも内装は考えられていてそれなりに売り上げられました。
その後ミニバンの販売車を専務が開発し
私はそのミニバンに乗り換えました。
それは軽自動車と比べるとなんと仕事がしやすいことか。
2人で販売も可能で販売時には車内の面積が広く、
軽自動車と比べものにならないくらい楽です。
また、内装も使い勝手が良く
地域により軽自動車では扱えなかった販売商品まで販売でき
原材料もたくさん積め、
売り上げも楽に上がりました。
私の場合、独立の5年間は3年間ぐらいにしか思えないほど
あっという間に時間が過ぎた事は仕事、
生活ともに充実をしていたからだと思います。
本部や家族、兄妹の協力、応援なくしては
やってこられなかったと思います。
加盟から5年が過ぎ山梨でおこなわれていた
2日にわたる泊まりでのイベント。
1日目の夜を利用して山梨甲府まで
社長、専務がお祝いで5周年の食事会を開いてくれました。
この日、専務と2人で飲んだビールは中瓶3本づつを空けました。
普段お酒を飲まない私ですが、
前回ビールを飲んだのが1年半位前だったでしょうか?
手羽先屋でやはり、社長と専務と一緒で
帰りに貰った手羽先のお土産が
小田急線の中でなぜか?臭かったのを覚えています。
お祝いの席で専務から言われた事はロイヤルティーが下がった分、
節約するのではなく、数ヶ月に一度でも家族の為に外食をする、
その事によって家事を休ませたり、子供への躾をしたり、
何よりも、自分の仕事への参考になる。
節約を考えるのであればその1万円の利益を出す為に
見直すべき出店場所が必ずあるはず。
そんな場所の為にあげぱんGOの活用して頂きたい。との事でした。
社長、専務にはプライベートのことも相談しています。
嘘を言う人ではないので信頼しています。
「家族の事で悩み事があると仕事はうまくいかない」
「一人の仕事でありながらひとりぼっちではない事が大切だ」と専務は言います。
「それは孤独によって孤立していては仕事はなりたたない。」
ということだと思います。
これからも目標をもって定年がないので
末永く続けていきたいと思います。
中学生の息子は今はサッカーに夢中なので、
自分が好きな事を永くできる様に応援しています。
うれしいことに小学生の娘が
小さい頃から興味を持って応援してくれています。
娘と一緒にあげぱんの仕事をすることを楽しみに頑張りたいです。
私は、迷わず加盟をしましたが
もし、仕事で悩んでいる方がいたら
加盟する、しないに関わらず相談に行ってみて下さい。
きっとこのフランチャイズの良さがわかります。
いざという時の地域の為に社会貢献の輪を一緒に広げませんか?
必ず支援者の為、何かのお役に立てると信じています。