大阪・堺 加盟店オーナーの声


私があげぱん屋になるまでーそれでも加盟した理由‐

ecoyatai 大阪・堺 加盟店オーナー

私は大学への進学で上京し、卒業後そのまま就職して以来長らく東京で勤務しておりました。

それが50歳を目前にした数年前、神戸の事業所へ転勤することになります。

元々大阪で生まれ育ち、実家もまだありましたのでそこから神戸に通うことにしました。

年老いた両親のことも気になっていたので同居できてちょうど良かったのです。

とはいえ神戸まではかなりの長距離通勤となりました。

出社する日はほとんど家に居ない状況で、いずれ親が一人になった場合

そのまま神戸まで通い続けるのは難しいと思い、退職することを考え始めていました。

 そういう訳でフレキシブルな働き方が必要だと感じていたことから、

新聞記事で知ったキッチンカーに関心を持ちました。 

と同時に、もし売るとしたら「あけぱん」だ!と直感的に決めていました。

 老若男女誰でも知っていて、食べたことがある人には懐かしく食べたことが無い人には食べてみたいと思わせる、

でもその割にはどこでも売っているものではない、キッチンカーで扱うにはうってつけだと瞬時に閃きました。

しかし自分にはあけぱんについてもキッチンカーについても専門的な知識はほとんど無く、暗中模索な状態でした。 

キッチンカーに関しては有名な某セミナーに参加してもみましたが、

結局は車の製作をするだけの業者なのであまりピンと来ませんでした。

もちろん調理して販売するための車が無いと話になりませんが、

自分はパン作りやお菓子作りもしたことがなく、どうやって「あげぱん」を作るのか?が一番の課題と考えていました。

 「あげぱん」を売っているお店を探すといくつか見つけることができ、早速買いに行ってみました。

食べてみると確かに美味しいのですが、ちょっとオシャレで値段もそれなりにして何か違うなぁと感じました。

ましてや食べてみただけで作り方が分かるものでもありません。

藁にもすがる思いで色々と検索していると「給食のおばさん」というページを見付けました。

あげぱん屋のフランチャイズ(FC)チェーン本部のHPでした。

給食で出てきた昔懐かしいあげぱんを再現しているというそのコンセプトに何より惹かれましたし、

それが私の求めていた「あげぱん」でした。

神戸への転勤は単身赴任という形で大阪の実家に居住していたので、

赴任後も自宅は変わらず東京にあり、ちょくちょく帰っておりました。

その際に八王子にある本部を訪問することにし、ひとまず話を聞きに伺いました。

当時から「給食のおばさん」HPの内容は非常に充実しており、

表面的かつ簡易な他社FCチェーンのHPとは一線を画すものでした。

というより私はこの時に初めてキッチンカーにもいろんなFCがあることを知ったのです。

しかし最初から「あげぱん」を考えていた私にはクレープや焼き鳥やメロンパンといった商材およびFCの選択は有り得ませんでした。

HPに書かれてあることで詳しく業務内容を知ることは出来ましたが、まだ私にとってキッチンカーは次の働き方の一案といった段階でした。

それでも本部に赴いたのは何かピンと来たところがあったのだろうと思います。

まずは話を聞きに来ただけというスタンスの私に社長も専務も丁寧に説明をしてくれました。

そして帰りには事務所の1階の店舗で作ったキッチンカーで提供しているものと同じ「あげぱん」をお土産にいただきました。

自宅に帰ってから食べてみた「あげぱん」の美味しいこと。

家族にもあげると特に子供らは美味しい!美味しい!と言って食べていました。

色々とお話いただいたことも有意義でしたし、何よりもその「あげぱん」の美味しさが決定的に印象付けられました。

その時点では急いで退職することもキッチンカーを始める必要もありませんでしたが、

その後コロナ禍になって会社勤務の仕方も変わり、突然なことに両親とも相次いで亡くなってしまったのです。

コロナに感染した訳ではないのですがやはり高齢になるといつ何があるかわかりません。

結果から言うと転勤によって少しの間でも一緒に過ごせて本当に良かったと思いました。
 
もし親が一人になったら長距離通勤はやめて他の働き方を考える、という必要は結局無くなりました。

東京の自宅に戻る選択肢もありましたが、会社を退職した上で大阪の実家に留まり「あげぱん」のキッチンカーを始めることに決めました。

親が入院したり急死したりと思いもよらぬことが続いた間も、社長から何度か電話を貰い気にかけて頂いておりました。

それに加えてやはり「あげぱん」自体の魅力です。

お土産で持ち帰ったあげぱんを食べた時の美味しさの衝撃をもっと多くの人々に体感して欲しいと思い立ちました。

既存の加盟店様は首都圏が多かったので、自分は西の大阪でやってみたいと思ったことも理由の一つです。

とはいえその頃世の中はまだコロナ禍が続いていました。

コロナ前は良くニュースでも取り上げられていたキッチンカーやフードトラックは、

出店先であるイベントの相次ぐ中止や在宅勤務にシフトしたことによるオフィス街需要の激減で売り先が無くなり、

商売が立ち行かなくなっていました。

社長と電話で話す中でそのことを聞いてみたところ、影響は少ないとのことでした。

なぜなら「給食のおばさん」キッチンカーの出店先はスーパーマーケットの店先が主だったからです。

コロナ禍でもスーパーだけは食材の購入先として営業していましたし、

元々イベント等への出店は従来より勧めておらず、それが功を奏していました。
 
コロナ禍が終息したとはまだ言えない状況ではありましたが、「給食のおばさん」キッチンカーで「あげぱん」の販売を開始しました。

ご用意頂けるキッチンカー車輌の代金も含め最初に用意するお金は決して手軽という訳ではありません。

だからこそ覚悟を決めて始めましたし、それと同時にこの美味しい「あげぱん」を大阪でも広めるんだといった使命感のようなものも芽生えました。
 
どうやって「あげぱん」を作るのか?という当初の最大の課題は「給食のおばさん」FCへの加盟で大きく前進しましたが、

講習を受けることにより、果たして自分に出来るのかといった不安も払拭されました。

教えて頂く通りにやればあの美味しい「あげぱん」を作ることが出来ます。

それから出店先、キッチンカーには出店させて頂ける場所が必要になります。

何十年も昔のように駅前や公園近くの道端で勝手に販売することは許されません。

本部はイオンを始め流通各社にパイプがあるため、地元のイオンにも本部経由で当たって頂きました。

もちろんその他に自分の足でも探し、ここぞという先には直接出店交渉をしました。

会社員時代は営業職にも従事していましたし、得意先は流通多岐に渡っていましたのでその時の経験が役に立ちました。

そうやって無事スタートは切れたものの、全てがうまく行くとは限りませんでした。

「あげぱん」という商品に合った売り先・売り方がやっぱりあります。

実際に販売を始めてしばらくするとその辺のことも少しずつ分かってきますが、初年度は色々と試行錯誤しました。

そんな時に一人でやっていては煮詰まってしまっていたかと思います。

本部訪問時に相談することで打開策も見つかりますし、その都度気持ちも新たになります。

思い悩む時間があればすぐに打ち明け、蓄積されたノウハウからのアドバイスや励ましを頂いておりました。

そのうち「あげぱん」に合った出店先も増えて売上げも上がるようになってきました。

商売ですのでちゃんと売上げがとれて儲けが出ないと続けていけません。

キッチンカーの商売はそこまで漕ぎつけるのがまずは大事です。

軌道に乗るまでは楽しくやりつつも何かと大変だった開始当初の数ヶ月、

同じところに継続して出店していると二回三回と買いに来てくれるお客様がチラホラ出てきます。

「美味しくてまた買いに来た」「私には懐かしく子供には新鮮で親子共々ハマってる」「次はいつ来るの?」等々、

嬉しいお言葉を頂けるようになりました。

 私自身がその美味しさに感銘を受けたのですからお客様にも同じように感じて頂けるはずですし、

そのために一つ一つ精魂込めて「あげぱん」をつくり、ご提供しています。

これまで接客業はしたことがありませんでしたが、お客様からそういった言葉を頂けることは自分にとって何よりもモチベーションになります。
 
 キッチンカーの絵を描いてきてくれたお子さんも居ます。

嬉し過ぎて大変だったこと苦労したことも吹き飛びました。

歴の浅い自分はまだまだこれからではありますが、一人でも多くの方にこの美味しい「あげぱん」を味わって欲しいと思いますし、

そのために日々精進してまいります。

またこの美味しい「あげぱん」をより多くの人に提供したいという同じ想いや志しを持った人が現れてくれたらさらに嬉しいですし、

そんな日を心待ちにしています。