有事の際に移動販売を役立てたい理由

ecoyatai


あれから37年
・日航機墜落事故、阪神淡路大震災、そして、東北関東大震災への想い・・・。

今から、37年前の8月12日、私がまだ21歳のお盆休み。

自宅でのんびりとしていた日のことでした。
部隊から連絡が・・・非常呼集。

悲しい一報が入り、急いで戦闘服に着替え駐屯地へ向いました。
あの大惨事、日航機墜落事故だったのです。
私が所属していた部隊は、
陸上自衛隊の中のヘリコプター隊。
とはいえパイロットではありません。
ヘリコプター隊は陸上自衛隊の中でも、
私以外は、とても優秀な方ばかりで、私の職務は、通信手。

当時、墜落現場の御巣鷹山のヘリとご遺体を安置する群馬県の駐屯地で
無線連絡の任務にあたっていました。
22歳のとき任期満了を迎え、4年にわたる自衛隊生活も終了。
自衛隊在隊中に夜間の美容学校へ通い、
退職後は美容師を目指しましたが、手荒れがひどく敢え無くも断念。

既に子がいたこともあり、遊んでいる余裕も無く、
美容の材料を販売するセールスマンに転身し、
数多くの美容室経営者と話をする機会を得ることが出来ました。
その後、今まで出会ってきた美容室の経営者を
裏切るようなことはしたくなかった理由から、
独立して美容室ではなく、飲食店を経営することになったのです。

そこで、当時はまだ珍しかった「もんじゃ焼き」の店をオープンしました。
資金は父に担保を出してもらい調達しました。8年で完済。
担保を返すことが出来ました。その8年間で休んだのはたったの1週間。
その1週間は、
阪神淡路大震災の被災者に救援物資を届けたくて店を休みました。

従業員と私、2人交代で軽自動車を走らせ、ようやく長田区役所へ。

しかし、既に役所は機能を果たしておらず、
現地を彷徨う状態で不安との戦いでした。
そんなときラジオからの情報を聞き、
「本山第三小学校」へ向い救援物資を届けることがでました。
ですが、現地のボランティアには愕然。
まだ若い大学生くらいのボランティア達が私達に、
被災者のために送られてきた、
まだ賞味期限が充分にあるシュークリームを勧めるのです。

当然、断りましたが、その不謹慎さには少々腹立たしくも思いました。
また、圧倒されたのは大企業です。
人材と物資の両面で被災者を支援している姿には、
個人事業者としての自分はあまりにも微力で、
無念さを思い知らされながら被災地を後にしたのです。

あれから年月が過ぎ、
店も”なつかしの給食専門”の移動販売、カフェテリアへと転進しました。
そして、2011.3.11東北関東大震災。
東京も被災し、取り分け、移動販売に関しては、
大手コンビニも移動販売のメリットに気がつき、
被災地での活躍が目立ちました。
現在においても、
コロナ禍によりキッチンカーが再注目されていますが、
経験に基づいたノウハウが無いと、そう簡単に、
できるものではありません。
それなのに、移動販売を始める全ての人が、ノウハウ無しに始めます。
だから市場には、新品同様のきれいな中古移動販売車が溢れるのです。
ですが、ノウハウを身に付け、当たると大きいのも事実。

また、当社の移動販売では
日航機墜落事故・阪神淡路大震災・東北関東大震災など有事の際には
地域の為に活躍して頂ける仲間を随時募集しています。


営業環境も、キッチンスペースにエアコンの設置が始まり、
昨今の異常な夏の暑さに対応した移動販売へと進化しています。
震災などで電気が使えない場合は、
備え付けのバッテリーシステムで、営業も可能。

夏の有事に備え、エアコンもリチウムイオンバッテリーで
動かせることが実現しています。
当社の真似をする者は後を絶ちませんが、
当社は、独自の考え方を基に文明の追加を怠りません。
当社の真似をするだけでは、俗にいうメッキが剥がれ、
全てが噛み合わなくなってしまうのです。

現在、世界的な災害ともいえるコロナ禍を予測していたかのように、
創業当時からマスクや手袋の着用。
そして、虫よけ窓口が、今ではコロナ対策に役立ち、
過去には一般に受け入れがたかったことの数々が、
今では生活様式の変化に伴い、常識になりつつあります。
まるで、未来が私たちのビジネスを
後押ししてくれているようにも思えます。

当FCは、
小規模且つ個人事業者の集合体でありながら大企業並みの社会貢献も夢ではない、大きな可能性を充分に秘めているのです。

☆個人事業者として独立ご検討の皆様、
是非とも当FC事業にご参画下さい。

こちらのコラムは旧ホームページコラムより引用されたものです。